留学を終えて

「ねえ、たかふみはエディンバラを日本と同じように自分のホームだって感じる?」
帰国を数日後に控えたある日、仲良くしていたフランス人の女の子にそう尋ねられた。
「うん。そう思うよ。」深い意図はないのだろう。そう思って軽く応えておいた。
次の日一緒にご飯を食べていたら彼女がふと思い出したように言う。
「ホームって家族がいないとホームじゃないのよ。」
色んな感情が込み上げてきて言葉に詰まった。
ーーーーーーー

 

これは1年前、俺が留学に行くちょうど2ヶ月前、SFCで仲の良かった友達が交換留学を終えるにあえてかいたブログの書き出し。
(もちろん無断掲載は無礼講)

このブログを読んだ時、なんて美しいんだろうって思った。もちろんこの文章も(絶対狙っただろってくらい)小説のように綺麗なんだけど、でもそれ以上に、留学先の子に「ねえ、あなたはこの土地がホームだと思う?」なんて聞かれる、その出来事自体が素晴らしく美しい、そう思った。

(俺の知る限り、こんな情景、次の日にふと思いだして忠告してくるような情景、あだち充の漫画の中だけにしか存在しない)

 

前置きがながくなったけど、とにかく、留学にいくにあたって、俺も帰国時には絶対にこのフレーズを留学先の子に言ってもらおうと心に誓っていた。

 

そして、つい先日、ついに留学の終わりを迎えた。仲のいい友達が寮を退出する前の日に、boba milk tea を買った帰り道、歩きながらこういってくれた。

” you become really my close friend, so whenever you want to come to LA, let me know with free. Then you can stay at my house and hang out together.”

俺は、9ヶ月同じ寮で生活しただけで、こんな風に、しかも異国の地から来た異端児に対して、こんなこと言ってくれるなんて思ってもいなかったから内心「あれ、ホームのこと聞かないの?」とかちょっと思いながら、正直結構驚いてた。

それと同時になんか、心底じわじわ嬉しかった。

多分きっと、一人一人留学した子たちにストーリーがあって、言葉はどうあれ、こんな風に異国の地で出会った人に素敵な別れの言葉をいってもらえた。それ自体が、素晴らしい体験で、振り返ったときに美しい人生の一節になってるんだろうなって、そう思いました。

(ちなみにサッカー部で一番仲良かったフレンチ2人は、最後だからってチョコチップクッキーくれた。嬉しかったけど、やっぱある程度情景って大切だと思った)

 

つーわけで、留学をおえて、帰ります。

今LAXのラウンジにいて、後30分で日本に向け発ちます。

 

みんな誕生日メッセージありがとうございました。「留学の話たのしみにしています」って結構な人がいってくれて、正直何話せばいいかまったくわからず、今からかなり困ってます笑。まあ一緒に美味しいものでも食べにいきましょう。

see you soon

 

 

アメリカの大学があれほど圧倒的な勉強をさせる理由〜交換留学生の視点〜

Top-10-Problems-faced-by-College-Students-8

なんでアメリカの大学ではこんなに勉強しないといけないのか?

韓国の友達は「韓国も同じくらいしんどいよ」といっていた。
それは就職のときGPAが必要だからだそうだ。
(それは企業が大学の勉強の質を信頼しているから成り立つ話なのだが)

まあ
アメリカもそんな感じの理由で
みんな必死こいてるんだと思ってた。

でも待てよ。
それなら楽単で固めればすむはず。
周りにできるだけ楽単で固めるみたいな子は1人もいない。
(楽単自体がほぼないのだが…)

みんな「しんどい。リーディングが…」といいながら
いつも寮のラウンジで勉強だ。
それはなぜか?
ドMだからではすまされない。

「なんでこんな勉強しないといけないのか?」
いいかえると

「なんで大学は学生にこんなに勉強させるのか?」

勉強に向き合うメリットはいくつか思い浮かぶ。

・忍耐力や精神力の強化
・良い成績は優秀な学生の証

でもそれは表面的な理由だと僕は思う。

アメリカの大学がここまで勉強させてることで
学生が得うる最も大きな価値は

「圧倒的な量の勉強により、一生をかけて関われるものを見つけられる」

ということだ。

①興味がないことへ没頭しなければならない苦痛

今日、今期取っているクラスのうち1つの中間の結果が帰ってきた。
「C」だった。下から数えた方が早い。

このテストの点が悪かった理由ははっきりしている。
勉強のやる気が起きなかったから。
重い腰をあげても、それが持続しなかったからだ。

(教授の講義がつまらないというのも理由に入れたいのだが)

内容があまり興味をもてないものだった。
しかし毎週100ページの章を読まなければならない。
これはハッキリ言って苦痛すぎる。
(勉強できる幸せは承知の上です。もちろん)

いくら時間を割いても同じページを見直し
「ふーん」で終わる。
この現象は一学期にもあった。

『game research』という授業においてだ。

video gameの歴史から人への影響までを勉強するものだったのだが
学期の途中、自分にとってこの内容が
「クッッソほどどうでもいいこと」だということに気付いた。

もちろん最初は面白そう。と思ってとった。
2週目まではオモロいなあ、と思っていた。
よくある好奇心&好奇心だ。

でもその浅い好奇心は程なくして失せ、
とても興味ないことだと気付けた理由は

毎週100ページのリーディング

卒論並みのペーパーx2

にあった。

なんで俺こんなにこれに時間注いでるの?
1日の半分使うぐらい好きなの?土日も削って?
ゲームの歴史、ジャンルによる違い、それぞれの影響…
それをレポートに落として、あ、文献で意見補強しなきゃ…
ああぁ、あと何十枚…

「俺ゲーム会社で働いてもゲーム事業を心から楽しめないだろうなあ」
それが圧倒的な勉強を通してみえたゲームと自分の関係だった。

gameさんどうでもいいよ。
興味ないもん…

上辺の興味でかじっても、続かない。
gameに興味がない僕にとってはgameとずっと共に過ごすのは苦痛なのだ。

つまり、こういった四六時中生活を共にして
アメリカの学生は「没頭できるもの」に消去法的にも
たどり着くことが出来る。
始めから選んだものが苦痛じゃない!なんてことはまれだろう。
だとしても
「何ならずっと一緒にいれるだろう」
それを無意識的に考えさせる仕組みがそこにはあるのだ。

②それを経験して気付く自分が面白いとおもえるもの

一方で、先学期は
「sport psychology」
「sport college business」
「sport marketing」
を専攻

今学期は
「critical thinking」
を履修している。

これらの授業は圧倒的におもしろいのだ。

言い直します。
授業はいたって普通だ。

でもリーディングの100ページ(X3科目)が
苦にならない。

sport majorに至っては学期が終わってからも
sport businessに関わるnewsを見つけた時
「これはアカデミックにはどんな風に考えてたっけ?」
なんて調べ返したりする。

critical thinking のクラス中間テストは
(Cだったクラスとは対照的に)「A」だった。

先生に何度も質問しにいき
授業中は一番前に座って手を上げて質問する
(これは地味に成長した部分だと思ってる)

これも全部「その分野に興味をもててるか」か全てだ。

そして学期の終わりらへんの授業では
先生がインターンを紹介するのだ。


「この分野と一生関わっていきたいな。」

そういったことに気付くための環境が
大学の4年間の中に
圧倒的な勉強という手段を通して用意されているのだ。

この仕組みのためのポイントもいくつかある。

(1)アメリカには理系文系がない。
というか学部もない。
それぞれ専攻は好きに決めていい。

(2)でも卒業条件には
「自分が決めたmajorの何単位以上が必要」となっている。

このため
1、2年時は各学問の基礎科目をとるなかでゆっくり選べる。
その分野の基礎に圧倒的に勉強を通して触れる。

「興味が持てず続けられない」となれば、メジャー変更をする。
というか好きじゃなければ続かない。
(続く子もいるんだろうけど)
続けれるなら「好きなんだ」と気付く環境が整っている。

つまりアメリカの大学生は
(もちろん全員ではない。一般的に)
圧倒的な勉強を通して
『自分が生涯関わりたい、ポジティブに関われるもの』をみつけれるのだ。

実際、周りの友達は勉強はしんどいという。
でも専攻を聞いてどうと聞くと
「おもしろいよ!」といい
しっかり内容を説明してくれる。

自分もとっていて勉強できる科目は
聞かれたときにこういうことがおもしろいとしっかり言える。

③日本の大学生との比較

アメリカの大学にきてから驚いたことがある。

いい大学を出た人が「プール教室の先生」といった
バイトみたいな仕事をしていたり
優秀な大学の人がベンチャーに抵抗なくいくことだ。

もちろんウォール街も人気なのはしってる。
ステータスや給料を気にする人も当然いる。

でもそれ以上に

自分が好きで関われることを仕事にする人が圧倒的に多い

そしてそれはきっとこの環境から
「いくら給料よくても好きじゃないことずっとやるのはしんどいよ」
ってのをわかってるから、というのが少しはあるのではないだろうか。

自分は4年で来て、留学中、就職についてもかなり考えて過ごしてきた。
そういう視点で考えれたのは大きいのだが
こっちにいる1、2年もその恩恵に気付いてないとはいえ
経験的に知っていることはとても幸せなことだと思う。

一方、日本の場合
大学入学時に学部が固定され
「つまんね」と思っても専攻を変えられず単位取得に必死になったり

SFCのようにどの講義も受けれるが
楽単も多いため楽単を極めるか
授業の分類の仕方が曖昧なため(ホント分かりにくいよなあれ)
色々したけど結局何に力いれたかわからなかったり

そうした理由で結局「これ」といった
ずっと向き合えるものを見つけれられない。

そして職業選択の際に
statusや給料にプライオリティをおく割合が高いことは
ある意味大学のあり方からいってしょうがないものなのだなあと。

分析してみました。

「C」をとった言い訳でもあるのですが

「なんで頑張れるのと頑張れないのがあるんだろ?」という
好き嫌いに左右されやすい自分の性格から
「それが人生の選択に与えるもの」
ってポジティブに考えてみました。

(もちろん仕事なんてやりたいことばっかやればいいってもんじゃない。なんてことはわかってますよ?もっと本質的なとこ。教育に関わりたい!だったり、パンで人を幸せにしたい!だったり、そういったことです。)

まあなにより一番嬉しかったのは
この内容をさっきラウンジで友達に一生懸命説明したら
誉めてもらえたことと
「うわ〜俺話してるわあ」って話しながら感じたことでした。

おしまい

代替可能性のはなし

eee

(*はじめに*この記事はとても感情的に書きなぐったものであり、かつ筆者の飽き性からくる見解をだらだら書いただけのものです。したがって「都会と田舎を両方経験し、かつ都会がやっぱりすき」という意見を持つ人のみお読みくださることをおすすめします。)

美味しいカレーが食べたい。
代替可能。

新宿の人ごみを歩いて「ひとおおいなあ」っていいたい。
新大久保でTOEFL受けた帰りに、350円で営業してる牛すじカレーが食べたい。
横浜のワールドポーターズで映画が見たい。
これらは代替不可能。
そこだけの環境的に特殊な部分があるから。

東京のあれがいいこれがいいを言い出したらきりがないのだけれど、今の世の中は便利なもので、ある特殊な環境を求めなければほとんど代替可能。

東京で見たような高層ビルからの景色が見たい。
NYでなら「まあ似たようなもの」が見れる。

あー美味しい中華料理食べたい。
NYでなら食べれる。

なにがいいたいかというと、東京にはなんでもある。
んでその「なにか」を再び経験したくなったとき
東京に限りなく似た環境が揃う街なら可能。
例えばNYのような。

つまりは大都会。

でも、今の田舎じゃ俺のしたいことはほとんどかなわない。

日本食どころか中華も車なしではいけない。
高層ビルからの景色も見れない。

ないないない。

でも、絶景といわれる海は見渡せる。
代わりにはなれない、全く違うものがある。

これは代替ではない。
好みの問題。
AかBのどっちが好きですか?ってはなし

ちがうよ。
俺はAもしくはA’を求めてるんです。

高層ビルからの景色の方が俺にとっては絶景です。って話。

昔から、南の島で暮らしたいっていう人の考えは理解は出来ても賛成は出来なかった。絶対退屈じゃん。
のほほんの街での休暇は、2週間もあれば満足すぎやしませんか?

この経験は学部生としてしか出来ない経験だったから後悔してない。1年で十分すぎたから、院とか仕事できてなくてよかった。

つまりは

アメリカの田舎は
都会を愛してやまない僕にはそろそろキツいですって話でした。

交換留学を通して気付いた9のこと

Photo Apr 15, 3 41 00 PM

ご無沙汰しておりまふ。

社会人と1年目として働きに出ている同期のみなさん、お務めご苦労様です。

そう。同期が就職し、5年目の大学生活を過ごし始めた僕は

先月、卒業関連のイベントに参加しに、同期が旅立つ姿を見送ってきました。

 

「みんなえらいなあ。自分はまだ学生でいていいのだろうか。」

なんて、センチメンタルに考えたりもしました。

 

ただ、もうそんなことは留学に行く前の段階で決めていたことだったので

「働いてる同期はえらい。OB訪問しよう。」と心新たに

自分は「+αの1年」を充実したものにしようと思います。

 

はてさて、一緒に交換留学にとびだった慶応の仲間達も

早い子で、後一週間とかで留学が終わりらしいです。

僕自身の留学生活は後2ヶ月まるまる残っています。

 

それでも、そろそろ、日本に帰ってから残りの生活も充実させれるように、

こっちでの学びを振り返る「まとめ」の段階に突入しようかと思います。

というのも、1年余分な分、この後の半年間も充実させたいな、と。

 

そうすると

【+の面】成長できたんじゃないかと思うこと

【ーの面】帰ってから意識してとりくみたいこと

ってことは、意識としてもっておきたい。

 

ということで

それを【交換留学をして気付いた9のこと】としてまとめてみました。

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【前提】

留学当初の目的は

「アメリカ人が『こいつ図々しいな』って
思うくらいの英語でのアウトプット力を身に付ける」でした。

なぜなら、アメリカは
『相手に意見を聞かせる勢いと技術』が世界で最も秀でてる国だから。

これを成長した点の考察では重点的にみます…

 

【+(成長できたかなって面)】

①英語力の向上

Yes. it is. but still need improving

これは今、丁度7ヶ月目なのですが、色々思うことがあります。

それは別の記事に詳しく書くので、そちらを見てください。

 

でもほぼ出来ていると感じています。

当初の予定の60〜80%くらいの伸び。

後2ヶ月あるとして、

帰国後はすぐに(1)TOEFL ibtと(2)TOEICは受けようと思います。

ついつい先に延ばしそうだけど、伸ばすほどスコアが落ちるのは承知なので。

 

②図々しいほどのアウトプット力

これもほぼ達成してるかと。

当初の予想の80~90%くらい。

 

正直、最初は無理だと思った。アメリカ人体も態度もでかいし。やっぱ。

でも、例えば色々な問題を通して、ひけない場面にでくわした。

 

そうすると

曖昧に終わらせずに自分の意見・要望を述べ、合意をとる。

ってプロセスを当たり前のようにするようになった。

物怖じなんてない。遠慮なんてしたらズルズルやられる。

それは、まず自分の意見をしっかり伝えるってことが根底にあるし

そういうのは、友達とcommunicationとるときでさえ、大切だと思った。

 

サッカー部に入ったこともやっぱり大きかった。

それはアウトプットしないと生き残れない場があったという意味で。


ずっと一緒に、同じ方向をめざして集う仲間になったことで

1年しかいない日本人コーチ(見習い)にプロ志望の選手達は相談してくれた。

監督に「伝える」というアウトプットをまかされた。

英語は彼らの方ができるだろう。

 

でも

自分のもてる最大限の準備をしてアウトプットに取り組んだ。

図々しくも自分が出来ることをさり気なくアピールに織り交ぜた案。

 

今では

・チームコンセプトを明確に伝えること

・その説明のために、試合ビデオを撮ること

・それを使って必ず次の日に振り返ること

という自分の提案がチームのルーティンに組み込まれている。

 

今日もやった。選手も満足のミーティングだった。

Photo Apr 15, 3 25 07 PM

自分がたてた目標を達成するための場を持てたことは本当に大きかったと思う。

 

③基本的な部分での成長

これはまあ自分が人より未熟だった部分が大きいけど。

いままで、すこし人より自信満々に生きてきました。

「自分はなんだってできる」と。(猪木じゃないよ)

 

でもそれは、支えがあって初めて成り立っているものだって気付きました。

まだ、むしろ気付けただけしかなくて

それをこれから忘れずにどうするか、ってことは胸に刻んで行動するつもりです。

 

これらを考えると

まあ当初の目的はある程度達成されつつあるかなと。

後二ヶ月、特に英語はブラッシュアップ頑張ります。

 

一方で

 

【ーの面(これから頑張っていこうと思ったこと)】

④英語力を持続させること

英語、特にスピーキングはすぐ落ちる。

この前1週間日本に帰って思いました。

英語を一週間話さなかっただけで、話すときに「あれ?」って戸惑う感じ。

低い声で出すのに、戸惑う感じ。

1日くらいで治ったのですが、

日本語の高いトーン出してると、英語の低いトーンが出なくなる感じ。
(自分は低い声を意識してたので特に)

 

だから定期的に英語を話す環境を創らないとなあ。と。

交換留学生と交流ってのは現実味がないから

やっぱり英語を使う必要がある企業で長期インターンかなと思ってますが。

何かあれば教えてください。

後、TOEFL とTOEICは受けないとなあって思います。

 

⑤わかりやすいアウトプット

この前日本に帰って「自分の説明って下手くそかも」って思いました。

日本語ひさしぶり、って考えたくなるくらい

「なんかダラダラしてて、結局どこがポイントなの?」って感じでした。

話の構成とかも、見えにくいし。

留学に行く前とかは、感じたこともなかったけど。

 

今 critical thinking というクラスをとっていて

「他人に効果的に自分の考えを伝えること」を学ぶ授業で

「人に伝えるための基礎」を学んでいる。


例えば

「not-P unless Q」は「If P then Q」とか(数学ではない)
コマーシャルで寄付を促すのはappeal to compassion だとか

当たり前のように思っていることも言語化して

それぞれの特性や差異を理解して使えるようになることで

効果的な伝達ができるね、って感じ。

 

そういったクラス単位でもそうだし

友達と話してても

coach K「オレは○○なんだよ〜。」

友達「だから何?」

って会話をしょっちゅうする。

くだらないことでも、多分無意識化で

「結論→理由」って会話を毎日繰り広げてるんだと思う。

 

そういうこともあって

自分の日本語に甘えたダラダラ話が意味プーに感じたのかも。

そこらへんは意識してなおしていきたいですね。はい。

 

⑥積極的なアウトプット

例えば、

誰かが話した意見に「それは違うよ」ということ。

手を挙げないと意見が言えない状況でいう手をあげること。

聞かれたり、自分から場を用意して意見はアウトプットできるようになった。

 

でも、即興の場で、本当の議論の場では、まだ出来てないと思う。

これは英語での話だから

日本に帰って英語でそういう環境があるかわからないけど。

 

だとしたら、後二ヶ月、これを頑張っていくべきなのかも。

当初の目標でもある「オレはこうしたい」は言える。

自分の益のための「図々しいアウトプット」だけでなく

お互いの益になる「積極的なアウトプット」が英語で出来ればいいな、と思う。

 

⑦組織をひっぱること

これは実際マネージャーをやって、ちょっと運営側をもう少しやりたいなあと。

今まで、ひっぱるのはダルいと思ってたけど、

リーダーの立場にたつと考えること、実際に行動に起こすことから

学べることが圧倒的に多いなあ、と実感。(多分どんな組織でさえ)

それをちょっと帰ってもやっていきたいなあと考え中。

 

⑧アウトプットを形として残すこと

5年学校にいて、色んなことを学んできて

それをなんらかの形でアウトプットは出しておきたいなあ、と企み中。

これは帰ってからどれだけ実行できるかだけど

行動力の大切さはアメリカでもっとも学んだことなので。

 

⑨色んな人(特に3つのカテゴリ)と話をすること

(1)【普段会えない人】に会って話を聞く機会をできるだけ創りたいなと。

学生でいれる残りの半年間は「学生です」って特権を使って。

 

(2) 【そんなにしっかりと話したことない人】にも

積極的にあっていきたいなと思いました。

今までは顔見知りくらいの人に会うのめんどくさかったけど。

でも団体戦苦手だから、シングルスかダブルスで。

基本5人以上は無理だわ。仲良くないと。熱出る(笑)

 

(3)【後輩】とも時間をつくりたいな、と。

留学行く前とか、後輩には気を使ってしまうたちだったので

遠慮がちな部分があったけど(ほんとです)

学校には基本後輩しかいないし、5年もいる分なんか還元できたらいいな、と。

 

もちろん自分自身未熟なところはあるけど、

例えばメディコムの入所試験も、国領研の志望理由書も、

交換留学への道も、就職活動も、大学生活それぞれの学年でどう過ごすかも、

自分はいつも先輩からいいアドバイスをもらえてきたから。

そういう点で積極的に還元していければなって思いました。

 

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ながくなりましたが、以上「9つの感じたこと」でした。

 

 

来週には、帰国日が決まるはずです。

帰ったら是非、カレー、中華、海鮮を食べにいきましょう。

東京ほど外食にワクワクする街はないと気付いたcoach K でした。